マミコのひとりごと。

面白かった本をご紹介致します

貫井徳郎 神のふたつの貌

 「人間はもしかしたら、神に見捨てられた存在なのかもしれない」

 神の存在を認める一方で、そんな疑念を抱く12歳の 早乙女輝 の苦悩から、物語は始まる。

 大正末期に建てられたという田舎町の教会。森を背負うようにそびえる教会には、町が丸ごと見下ろせる時計塔もあり、雰囲気を漂わせた建物のようだ。

 早乙女は、祖父の代から聖職に就く一家のひとり息子である。

 輝の父は、信者たちから厚い信頼を寄せられている立派な牧師だが、信仰がすべての父に、人並みの女の幸せを願う母は不満を募らせ、夫婦仲はギクシャクしている。

 そんな時、朝倉暁生という若く美しい男が教会に逃げ込んでくる。ヤクザの情婦に手を出して追われているところを匿ってもらい、その縁で教会に居つくことになる。

 如才ないこの青年は、町の人たちや信者たちの信頼を得てしまい、母も彼に愚痴を聞いてもらい、理解ある優しい言葉をもらうことでやすらぎを得て、彼に惹かれていく。

 しかし狭い田舎町のこと。朝倉と母の仲は噂の的となり、両親の関係は益々険悪になっていく。

 そんなある日、朝倉の運転する軽ワゴン車が曲がりくねった峠道の途中で、ガードレールを乗り越えて落下し、同乗していた母とともに、二人は事故死してしまうのだ。

 そういった第一部から月日は流れ、第二部は、20歳になった早乙女を追っていく。

 早乙女は大学生になり、コンビニでアルバイトもしている。将来は、牧師職を継ぐつもりでいるものの、いまだ神の愛を感じられない。そんな彼の前に現れたのが、熱心なプロテスタントの信者で、同じ大学に通う八城翔子であった。

 早乙女は彼女と語り合い、やがて男女の関係になって、彼女は妊娠してしまうのだが、彼はまだ結婚を考えることができない。

 またアルバイト先のコンビニでは、何かしらの重い不幸を背負った人間が集まっていることを知る。中でも、オーナーのひとり息子である琢馬が自分を卑下するさまを憐れに感じた早乙女は、その苦しみを解放してやりたいと、不穏な計画を実行にうつす。

 第三部では、早乙女は40歳半ばの牧師になっていて、彼の妻は母と同じように事故死してしまっているのだが、創という息子がいる。

 自分の人生と二重写しのように見える創の人生に、早乙女は不安を覚えていた。

 母親の過干渉のために、言葉で尽くせないほどの不幸を背負ってしまった郁代という信者の女性。ふらりと町にやって来た棚倉という正体不明の男。

 この二人の登場によって、物語は急展開し、予想もしない結末へと進んでいくのだが…………。

 三部という構成に、作者のあるたくらみが仕掛けられており、「えっ!そうだったの? 私 間違ってないよね?」と思わず読み直しをしてしまいました。

 いつもながらの貫井徳郎のどんでん返し!ぐーっと引っ張っておいての種明かし。

 「ああ!やられたな。」と思った次第です。

 久しぶりに時間を忘れて一気読みしてしまいました。