垣谷美雨 ニュータウンは黄昏れて
バブル崩壊の直前、東京郊外に4LDKの分譲団地を購入した織部家。
20年以上近く経つ今もローンを抱え、織部頼子は節約に必死である。
頼子の夫は、技術革新から取り残されてコンピューター会社の管理職から平社員に格下げされ、収入は激減した。会社を辞めたくても住宅ローンが残っているため辞めることが出来ない。
団地は建て替えが必要な時期が来ているのに、費用も捻出できず、家を売って住み替えようにも住宅価格が下落して売ることも出来ない。まさに八方ふさがりである。
娘の琴里は、27歳のフリーター。大学を卒業し、入社直前に内定先の食品会社が倒産してしまった。教育ローンの返済をしながら、持ち帰り寿司店でアルバイトを続ける日々である。教育ローンを組んだのも、入学前に父の会社が傾いて、給料が激減してしまった為である。就職活動は続けているものの、先行きは暗い。
中学時代、家が近くで同じコーラス部、琴里と仲のよかった三人組のひとりである朋美は、大学院に進学し、もうひとりの三起子は、中堅商社に就職した。
友人達に劣等感が募る琴里であった。
そんなある日、琴里は久しぶりに会った三起子に、イケメンで資産家の彼氏 黛環を紹介される。
三起子は琴里にオペラのチケットを渡し、法事で行けなくなった自分の代わりに彼と一緒にとオペラに行ってほしいと頼む。
だが、三起子はその後失踪し、いつしか琴里が黛と付き合うことになる。
東京の一等地に先祖代々引き継ぐ貸しビルやマンションを持ち、家賃収入で生活している、黛環と結婚することは、琴里にとって起死回生の脱出策となるはずであった。
しかし黛という男の実態は……。
琴里は、三起子が何故自分に黛を紹介した後、失踪したのかを後に知ることになり、愕然とする。そしてその時琴里のとった行動とは?
この作品の背景にあるのは、戦後の中流のライフスタイルを支えてきた土地神話と終身雇用の崩壊である。
ニュータウンは、高度成長期に地方から東京に流れ込んだ大量の働き手たちを吸収し、東京郊外に続々と生まれた。
これを支えたのが、定年まで雇用を保障する終身雇用と、勤続年数によって賃金が上がる年功賃金。不動産は必ず値上がりするという土地神話である。
バブル崩壊によって、中流サラリーマンの生活設計は、完全に狂ってしまった。必死で手に入れた郊外住宅も、実質は資金を借りた銀行のものだったいう現実に、頼子たちは直面することになったのである。
琴里の世代には、頼子のような中流の夢さえない。正社員就職に失敗した琴里は、フリーター。低賃金に教育ローンの返済がのしかかる日々である。
親世代の貧困も進み、奨学金を借りないと大学にいけない若者が大幅に増えている。利子付きの奨学金の拡大もあって、卒業時に数百万の借金を抱える学生も目立つ。
非正規雇用の働き方が広がったため、いまや高卒の半分近くが非正規社員となり、大学を出なければ正社員へ道は極めて厳しい。だから無理をしてローンを組んでも、皆大学に行こうとするのである。
私の友人にもバブルの頂点で家を買ったという人がいます。
ただ彼女のご主人は、一流企業に勤めていたこともあり、彼女の独身時代の預金を繰り上げ返済に充てたり、子供がいなかったこともあって、それほど困らずローンを返済できたようです。
それでも彼女たちが返済したローンの総額には、びっくりさせられました。
バブル期の土地の値段は、本当に異常でしたよね。
お金はあって越したことはありません。
しかしどんなにお金があっても、やはりそれだけで幸せになれるわけではない と言うのもこの作品のテーマです。
また、幸せは人と比べて優劣をつけるものでもありません。
琴里、友人の三起子、そして朋美、三者三様それぞれの生き方があり、一概に誰が幸せとは言えません。自分が納得できる生き方、それが正解と言えるのでしょうね。